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2017年7月、私の誕生日である某日をリミットとし、地元にUターンをする。

目標ではなく、未来にくる事実として。

 

目標とは、こうあって欲しい、こうなりたいという希望的観測である。

例えば、来年こそ大学に合格したいと望む浪人生。

例えば、いい企業に就職したいと望む大学生。

これは、目標である。

目標とは叶うか、叶わないかは分からないものである。 それはいかなる努力をしても、当事者がさだめることは出来ない、結果的にその努力が報われるだけの、神様が決めることである。

私は、どういう結果であれ、あと331日で東京の生活を終えることを決めており、逆線表的に、その軌跡を記録していこうと考えている。

 

そもそも、私とは何かということを今日は綴りたいと思う。

 

私には、妻と子供がいる。しかしながら、一緒に暮らしたことはない。 少し語弊のある表現だが、嘘偽りはない。もちろん短い時間を共に過ごしているが、一般的に言われる生活というレベルではなく、休暇の際に限られた時間のみということである。

出産後、我が子を見たのも、数日後である。

私は、単身赴任をし、我が家の生を繋いでいる。 人の倍働き、一般的には富裕な暮らしをしている、してきたと思っている。 家族が住むマンションは、地方にあるが、都心の億ションレベルと言っても過言ではない。億まではしなかったが、それなりに大枚を叩いた。

 

つまり、私は、多くの犠牲を払って、今日まで生きてきた。

 

大学進学とともに上京し、現在に至る。今年で16年。もう少しで地元での時間を超えようとしている。

私が今まで勤めてきた、勤めている多くは、外資系である。 現在まで数社の経験があるが、何れもスカウトで転職をしていきた。

私は、流れに身を任す人間である。それは天恵であり、運命を大切にしているから。もちろん、変な新興宗教には属していないのであしからず笑

 

そんな私も過去に一度だけナントカ総合研究所という日系最大手のシンクタンクに勤めたことがあるが、現在はある分野で世界一の外資系企業に帆を戻している。

これまで金銭面では苦労したことはない。随分と報酬を貰ってきた。所謂大台といわれる給与を貰っている。

 

しかし、振返れば、どれだけ人間的有益に使って来ることが出来ただろうか。

 

都心の一等地のいい部屋に住み、毎週末死ぬほど飲んだくれ、いい女と遊びまくる。多くを犠牲し、下層な欲求を満たす。

これは、西田哲学で言うところの、絶対矛盾的自己同一である。

多くの犠牲と相反する下層な欲求。 開高健が言った、忍耐とせっかちのようなものでしょう。

国税庁の発表によると800万円を超える年収の人は、人口の10%強で、最も大台を超える人は5%程度である。 そのレンジの人は少なくとも何かを犠牲にしている。大義で言えば、多くである。少なくとも私はそうである。

 

人より多く稼ぐには、非人間的な工業的な時間を過ごさなくてはなりません。 つまり、自然から逸脱した時間を過ごすのです。 朝から晩まで、いや、朝から朝まで時間を捧げ、多大なストレスの中、健康を失い、人間的なあらゆるリスクを承認する。入社数ヶ月でクビになる人間も沢山見てきました。もちろん、倒れる人間も。

私は、その対リスクに報酬を貰い下層な欲求を満たし、幸せであると思い込んできた。 お金というものは、簡単に手に入れられるものではありません。

私は東大合格率ベストテンの中高一貫の学校に通っており、そのトップは将来を約束されたその先にくるであろう幸せの為に医学部に進学していた。

無論、私は不真面目で問題児であったため、そこまでの学力も、先見の明もなかった。今となっては、人を救える最もな職業として医師に憧れているが笑

しかし、その一方で、中学から死ぬほど勉強に勤しみ、現役で医学部まで駆け上がり、医師免許を取得し、研修中に脳梗塞で倒れ、この世を去った者もいた。 進学校故、進学ということに捕われ過ぎ、自殺した者もいた。 それも一つの犠牲なのかもしれません。

人間は必ず何かを犠牲にしており、必ずしもそれが有益ではないのです。

とかく、金という責任には、犠牲は必然なのです。 これまで私が過ごしてきた時間とは何だったのか、後述することにしよう。

 

残り331日。